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東京高等裁判所 平成9年(ネ)619号 判決 1998年9月30日

控訴人(兼七甲山一郎訴訟承継人)

甲山良子

外三名

被控訴人(兼亡原徹訴訟承継人)

原明博

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

加藤済仁

松本みどり

岡田隆志

主文

一  原判決中、控訴人甲野花子、同甲野二郎及び同甲野三郎に関する部分を次のとおり変更する。

1  控訴人甲野花子に対し、被控訴人原明博は金一七五万円、同原菊惠は金八七万五〇〇〇円、同矢尾板明子は金四三万七五〇〇円及び右各金員に対する平成六年一二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人甲野二郎及び同甲野三郎に対し、被控訴人原明博は各金八七万五〇〇〇円、同原菊惠は各金四三万七五〇〇円、同矢尾板明子は各金二一万八七五〇円及び右各金員に対する平成六年一二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  右控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  控訴人甲山良子の本件控訴を棄却する。

三  控訴人甲野花子、同甲野二郎及び同甲野三郎と被控訴人らとの関係では訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その九を右控訴人らの負担とし、その余は被控訴人らの負担とし、控訴人甲山良子と被控訴人らとの関係では控訴費用はすべて同控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人らは、各自、控訴人甲野花子(以下「控訴人花子」という。)に対し金二〇〇〇万円、控訴人甲野二郎(以下「控訴人二郎」という。)、控訴人甲野三郎(以下「控訴人三郎」という。)及び控訴人甲山良子に対しそれぞれ金一〇〇〇万円並びにこれらの金員に対する平成六年一二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、亡原徹(本件訴え提起時の被告)が開設していた原医院に通院し、同人の子で医師の被控訴人厚明博(以下「被控訴人明博」という。)から肝臓疾患の検査及び治療等を受けていた亡甲野一郎(本件訴え提起時の原告。以下「亡一郎」という。)が原発性肝癌のために死亡したことについて診療上の過誤があったとして、控訴人らが、被控訴人明博に対し不法行為に基づき、同被控訴人を含む亡原徹の訴訟承継人である被控訴人らに対し診療契約上の債務不履行ないし不法行為(使用者責任)に基づき、それぞれ損害賠償を求めた事案である(なお、本件訴え提起時の原告は亡一郎及び控訴人ら、被告は亡原徹及び被控訴人明博であったが、第一審訴訟係属中に亡一郎及び亡原徹の両名が死亡し、亡一郎については控訴人甲山良子を除く控訴人らが、亡原徹については被控訴人らがそれぞれ訴訟承継した。)。

控訴人らは、原審において元金総額一億八五七一万三七〇二円(控訴人花子は七七八三万一四〇二円、控訴人二郎及び控訴人三郎はそれぞれ三四九八万八八〇〇円、控訴人甲山良子は三七九〇万四七〇〇円)の請求をし、右請求が全部棄却されたところ、控訴の趣旨2項記載の限度で不服申立てをした。

二  本件における争いのない事実等及び争点は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決書「事実及び理由」の「第二 事案の概要」の一及び二(原判決書四頁六行目から二五頁九行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決書九頁一〇行目の「及び一〇月一九日」を「、二九日、一〇月一九日及び二六日」に改め、同一〇、一一行目の「検査などを受けた」の次に「(乙二の一)」を加える。

2  原判決書一〇頁六行目から九行目までを「右検査の所見は腹水及び肝腫瘍であり、被控訴人明博は亡一郎に対し入院することを勧めた。亡一郎は、同月一〇日大橋病院で受診したが、同病院が満床であったため、同日、北青山病院に入院した。」に改める。

3  原判決書一一頁三行目の「合計六回」を「合計七回」に改め、同行の「治療を受けたが」の次に「(乙四、乙五、弁論の全趣旨)」を加え、同一〇行目の「進行しおり」を「進行しており」に改める。

第三  当裁判所の判断

一  原医院における亡一郎の診療経過等について

1  証拠(甲一ないし甲三、甲五ないし甲七、甲一四、甲二〇ないし甲二二、甲四三、甲六四、甲六五の一、二、甲六六、甲六八、甲七二、乙一、乙二の一、二、乙三ないし乙五、乙八の一、二、被控訴人明博本人(原審。以下、人証はいずれも原審。))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 亡一郎は、東京医科大学病院で診察、検査等を受けた結果、昭和六二年二月二日、同病院内科医師より肝機能障害を指摘され、入院して精密検査を受けることを勧められたが、同日中に自宅近くの以前から風邪等で通院したことのある原医院を受診し、原みさ子医師の診察を受けた。その際、亡一郎に同行していた控訴人花子が、それまでの経過を記載したメモ(乙一の二枚目及び三枚目。なお、控訴人花子は東京医科大学病院での受診の際も同行し、亡一郎のために栄養指導を受けるなどしていた。)を渡した上、亡一郎が、東京医科大学病院で肝機能障害を指摘され入院して精密検査を受けることを勧められたが、入院しないで済む方法はないかとの趣旨を述べて診察を依頼した。同医師は、同日尿、血液検査を、翌三日にブドウ糖負荷試験をそれぞれ行い、また、同月六日に診察した被控訴人明博は、亡一郎に大橋病院で腹部CT検査を受けるよう指示し(同月二五日受検)、同月二一日には亡一郎が東京医科大学病院で処方されていた薬(タチオン、ビタメジン、グリチロン)がなくなったというので薬(タチオン、ビタメジン、エラスチーム。なお、グリチロンをエラスチームに変えたのは、原医院ではグリチロンを使用していなかったことによる。)を処方し、更に同月二六日にも尿、血液検査を実施した。二月二日の血液検査ではGOT一五八、GPT二四三、二月二六日の血液検査ではGOT一三九、GPT一八七であり、基準値(GOT、GPTの基準値は検査表によって若干数値が異なるが、概ねGOTが八ないし四〇、GPTが五ないし三五である。)より高く、かつGPTがGOTより高いという慢性肝炎の特徴を示していたが、大橋病院での腹部CT検査の結果は肝臓を含めて腹部臓器に特に異常な所見は認められなかった。被控訴人明博は、これらの診察、検査結果から、同年三月七日、亡一郎に対し、糖尿病と慢性肝炎であるが、入院するまでの必要はない旨を告げて以後は定期的に通院するように指示した。

(二) その後、亡一郎は、同年三月三〇日(診察、尿、血液検査、薬一四日分処方)、四月四日(診察)、五月一八日(診察、尿、血液検査、薬一四日分処方)、五月二二日(診察)、七月二三日(感冒で受診、血液検査)、八月七日(診察、薬一四日分処方)と約五か月間継続して原医院を受診したが、その間検査結果等に特に変化はなく、診療録には「胸部著変なし」(三月三〇日。訳語である。以下、診療録の記載の引用は原則として訳語による。)、「食欲良好、腹部著変なし」(五月一八日)、「腹部著変なし」(五月二二日、八月七日)と記載され、被控訴人明博は亡一郎に対し、検査結果には特に変化がない旨説明していた。この間の血液検査の結果は、三月三〇日がGOT一〇八、GPT一四四、五月一八日がGOT一二二、GPT一三四、七月二三日がGOT七四、GPT一〇三であり、いずれも初診時より低下していた。また、腫瘍マーカーのAFPは21.6から30.7であった(正常値一〇以下。AFP検査は主として肝癌等の悪性腫瘍の早期発見のためにされるが、慢性肝炎、肝硬変の場合でも数値が高くなることがある。乙六、乙七)。

(三) 亡一郎は、その後約一年間来院しなかったが、昭和六三年七月九日になって原医院を再び受診し、尿、血液検査のほか腹部エコー検査を同医院で初めて受け、以後平成二年二月一〇日までの間に合計一六回受診して被控訴人明博による診察、検査、投薬を受けた(投薬のみの来院を含み、感冒による受診を除く。この間、尿、血液検査は五回、腹部エコー検査は二回行われている。なお、投薬は平成元年四月一八日にそれまでの処方を変更して漢方薬である小柴胡湯等が一四日分処方されたが、その後の受診では処方されていない。)。その間の診療録には、昭和六三年七月一八日の欄に「腹部、肝触知。」「LCか。」(注・LCは肝硬変のこと。)との記載があるが、その次の同年八月五日の欄には「腹部著変なし」と記載され、平成元年二月七日の欄には自覚症状として「著変なし」、腹部エコー検査の結果として「tumor(一)」(腫瘍なし)との、胃透視検査をした同年二月一〇日の欄には「腹部著変なし、食道著変なし」との記載がされており、血液検査の結果もGOTが九四ないし一二〇、GPTが一一八ないし一七一程度で推移し(AFPは28.6ないし49.1)、被控訴人明博は亡一郎に対し、検査結果には特に変化はない旨の説明をしていた。

(四) 亡一郎は、平成二年六月三〇日、肺癌健診のため原医院を受診し、併せて肝臓に関する検査(血液検査、腹部エコー検査等)も受けた。この日の検査でC型肝炎ウイルス(HCV)抗体が陽性であることが判明し(乙二の二の⑱)、同年七月七日、被控訴人明博は、亡一郎に対し、C型肝炎であり、C型肝炎から肝硬変に移行し、その後肝癌に移行することがある旨を告げたが(この限度で説明があったことは甲五の亡一郎の陳述書(第五項)によって認定可能である。)、亡一郎の慢性肝炎がC型肝炎と特定されたことによって、従来の治療方針を特に変更することはしなかった(なお、乙三及び被控訴人明博本人尋問の結果において、同被控訴人は、右説明に併せてインターフェロンによる治療と入院の必要性を説いた旨の供述等があるが、反対趣旨の甲一、五、二一の記載と後記三の説示に照らし採用できない。)。同年六月三〇日の血液検査の結果はGOT九〇、GPT九三、AFP25.4であった。

(五) 亡一郎は、平成二年一一月七日に杉並区の高年者健診を和田堀診療所で受けたところ、肝機能の異常、糖尿病、消化管出血を指摘され、腹部エコー検査、上部消化管透視検査等を勧められたため、一一月一三日に原医院で血液検査(結果はGOT八一、GPT一〇七、AFP35.3)のほか、腹部エコー、上部消化管造影、胃カメラの各検査を受けた。被控訴人明博は、一一月二四日、亡一郎にこれらの検査結果から、病状に特に変化は認められない旨説明し、同日、亡一郎に再度漢方薬の服用を勧めて小柴胡湯を一四日分処方した。

しかし、右一一月一三日に撮影された胃のレントゲン写真には噴門部近くに胃静脈瘤の存在を示唆する所見が見られたのであり(甲六四の別紙にある宗近宏次教授作成の「平成八年五月二一日のコメント」②)、胃静脈瘤は食道静脈瘤とともに肝硬変の場合に発生しやすい病変である(甲七二)。

(六) 亡一郎は、平成二年一二月一一日から平成三年一一月一六日までの間に一〇回原医院を受診し、血液検査を四回、腹部エコー検査を三回受けた。この間の血液検査の結果は、平成三年二月九日がGOT七三、GPT七九、AFP29.1、三月一五日がGOT八三、GPT九〇、七月二〇日がGOT八三、GPT九四、AFP34.7、一〇月一九日がGOT八三、GPT八〇、AFP40.5であった。診療録には、平成三年二月九日の欄に「腹部、肝、腫大」との記載が、二月二二日の欄にGOT、GPT等の低下を示す記載に続けて「LC?」との記載(甲六八の一六〇頁によれば、慢性肝炎で高くなっていたGOT、GPTは肝硬変の進行とともに低下することのあることが認められる。)が、七月二〇日の欄に腹部エコー検査の結果として「肝肥肪?」との記載が、一〇月一九日の欄に「腹部肥肪」との記載がそれぞれされている。この間に胃薬以外の薬は処方されていない。

被控訴人明博は、この間も亡一郎に検査結果に大きな変化は認められない旨説明していたが、平成三年七月二〇日及び同年一〇月一九日の腹部エコー検査の結果は、肝臓の辺縁の不整と肝内部のエコー濃度の不均一、不整という肝硬変を示唆する所見が認められるものであった(甲六四の前記宗近教授作成の「平成八年五月二一日のコメント」①及び「平成八年六月一日のコメント」中の一九九一年一〇月一九日のエコーについての質問の答)。

(七) 亡一郎は、平成三年一二月二七日、原医院を受診して腹部に膨満感がある旨を述べた。被控訴人明博が、尿、血液検査と腹部エコー検査をしたところ、腸にガスが溜まっており、そのためにエコー検査では十分な所見を得ることができなかったが、肝臓に明らかな腫瘤像はなく、腹水も認められなかった。被控訴人明博は、翌二八日、に来院した亡一郎に対し、腹部が張っているのは腸管ガスのせいであり、特に心配することはない旨を述べた(当日の診療録には血圧の測定値以外は「good」と記載されているのみである。)。なお、一二月二七日の血液検査の結果はGOT九六、GPT九二、AFP48.0であった。

(八) 亡一郎は、平成四年二月初めころから腹部が膨満して固くなり、周囲の者からもそのことを指摘されるようになったため、二月八日に原医院を受診した。被控訴人明博が腹部エコー検査をしたところ、腹水と腫瘍を疑わせる所見が認められ、直ちに日扇会第一病院で腹部CT検査を受けるように亡一郎に指示した。亡一郎は同日同病院で腹部CT検査を受けたが、その所見は腹水、肝腫瘍であり、同日、その結果を確認した被控訴人明博は亡一郎に入院を勧め、入院先として当時被控訴人明博が週一回勤務していた東邦大学医学部附属大森病院や佼成病院を挙げたが、これらの病院は入院まで二、三か月待たされることがある旨述べたため、亡一郎の妹の控訴人甲山良子が知人を通じて早く入院できる病院を探した結果、大橋病院で診察を受けることになり、同病院が満床の場合は関連病院の北青山病院に入院する手配がされた。

(九) 亡一郎は、平成四年二月一〇日、大橋病院で、腹部エコー検査の結果、重症肝硬変、多発性肝細胞癌、重症脾腫大、胆のう炎、腹水と診断されたが(乙二の一末葉)、同病院が満床であったため、同日、北青山病院に入院した。同病院の医師は、二月二一日、亡一郎の義兄であるである甲村四郎に対し、亡一郎の病状は重症肝硬変だけでも致死的であり、多発性肝細胞癌は肝臓の全域にわたるため摘出手術は不可能で、残肝機能も期待できない旨を説明した(甲二〇の⑥)。また、同病院における二月二五日の胃内視鏡検査で重症の食道静脈瘤の存在が認められた(甲二〇の⑦、⑰)。

(一〇) 亡一郎は、①平成四年三月一七日に北青山病院から大橋病院に転院して同年七月三一日まで同病院に入院し、その間に肝動脈塞栓術(癌組織に通じる動脈を塞いで癌を壊死させる手術。甲六八の二一二頁)及び食道静脈瘤硬化療法を受けた。その後、AFPの検査値が上昇したため②同年九月七日から一〇月一九日まで同病院に再入院し、再度肝動脈塞栓術を受け、更に、腹水貯留等により、③平成五年二月一五日から三月二三日まで、④同年六月一二日から七月三〇日まで、⑤同年九月一三日から一一月一日まで、⑥平成六年三月七日から同月二九日まで、⑦同年一〇月二一日から一二月一〇日まで前後七回同病院に入院して治療を受けたが、亡一郎は同年一二月一〇日に原発性肝癌のため死亡した(乙4の④〜⑩。ただし、大橋病院の後半三回の入院については弁論の全趣旨。)。

二  慢性肝炎、肝硬変及び肝癌の病態、診断及び治療方法等について

証拠(甲六八、甲六九、甲七一ないし甲七四、甲七七ないし甲八〇、甲八二)によれば、次の事実が認められる。

1  慢性肝炎は、肝炎ウイルスによって六か月以上にわたり肝臓の炎症が持続する状態をいい、肝臓内の炎症の強さによって慢性活動性肝炎と慢性非活動性肝炎に、ウイルスの種類によってB型肝炎と非A非B型肝炎(その大部分はC型肝炎)に分けられる。慢性肝炎では、一般に急性増悪時を除いて自覚症状、他覚症状がほとんどなく、慢性肝炎の診断はもっぱら検査に頼ることになる。血液検査では、GOT、GPTが慢性的に異常であり、これらの数値が時々変動するのが特徴とされ、両者はほぼ並行して変動するが、GPTの数値がGOTの数値より高いのが通常である(甲七三の六七六頁、六七七頁)。腹部エコー検査(超音波検査)では肝臓の大きさ、表面の性状、辺縁の形状、肝内部エコーの均一性、脈管の状態、脾腫の有無などから肝硬変等との鑑別が行われる(同六七八頁)。しかし、慢性肝炎と他の疾患との鑑別、慢性肝炎の段階(活動性か非活動性かなど)の確定的な診断には腹腔鏡検査や肝生検が必要であり、初診時に近い時点でこれらの検査を含む入院精査を行うほか、強い急性増悪時なども適宜、同様の精査を行って治療方針決定の資料を得る必要があるとされている(甲七一の一五六頁、甲七三の六七九頁)。

一般に慢性肝炎の治癒率は一〇パーセント程度と低いが、肝硬変に進展するのは約一五パーセント程度であり、慢性肝炎から肝硬変への移行には通常一〇年から二〇年の長年月を要するといわれている(甲七一の一五七頁)。もっとも、慢性肝炎の中でもC型肝炎は発症後高頻度に遷延、慢性化して、改善或いは治癒傾向が少なく、かつ長期間にわたり炎症が持続して肝硬変まで進展する危険性が高いのが特徴であり、更に肝癌にもC型肝炎の持続感染が深く関与していると考えられている(五年から三〇年の経過の中で三〇ないし四〇パーセントが肝硬変に進展し、肝硬変の五〇ないし八〇パーセントが肝癌を合併する。甲六九の一二九頁、一三〇頁)。

慢性肝炎では、急性増悪期を除いてアルコールの摂取以外に患者の日常的な生活に制限を加える必要はないが、肝硬変、更には肝癌への移行の有無を中心とした経過観察が必要である。慢性肝炎患者の管理、治療の目標は、活動性病変の進展抑止と鎮静化、肝炎ウイルスの増殖抑制とウイルス血症からの解放にあり、治療方法には食事療法や日常生活指導のほか、後記するインターフェロンや強力ミノファーゲンC等の投与による薬物療法がある(甲七二の四二〇頁から四二二頁。)。

2  肝硬変は、慢性肝障害の終末像としてみられる病態で、肝細胞の持続的な崩壊とその結果としての線維の増生等が生じるものであり、肝機能不全状態を示す浮腫、腹水、黄疸等の認められる非代償性肝硬変とこれらが認められない代償性肝硬変がある。肝硬変は肝臓病の中でも比較的特有の身体症状がある疾患であり、自覚症状として全身倦怠感、食欲不振、腹部膨満感が、身体的所見として皮膚の手掌紅斑、くも状血管腫等が多く見られる(甲六八の一五九頁、甲七二の四三〇頁)。非代償性肝硬変は入院の上で浮腫、腹水等に対する治療が必要であるが、代償性肝硬変の場合は、外来治療で日常生活の指導を主体とし、肝庇護剤、ビタミン剤、消化剤等を投与し、肝癌発生の有無を調べるため腹部エコー検査及び血中のAFP値のチェックを定期的に行う(甲七二の四三一頁)。

3  肝癌には、肝臓に癌が初発する原発性肝癌と他の臓器の癌が肝臓に転移した転移性肝癌があり、原発性肝癌の主要な原因には肝硬変からの移行がある。肝癌の早期発見に有用な検査としては、エコー、CT検査等の画像診断のほか血中のAFP検査があり、同検査は肝癌の早期発見だけでなく、癌の発育状態や治療効果を判定する時にも用いられる(甲六八の二一〇頁)。

三  被控訴人明博の診療行為の適否について

1  説明義務及び精密検査指示義務について

(一) 被控訴人明博は、陳述書(乙三)及び本人尋問において、昭和六二年二月二日に亡一郎が原医院で受診した際、同人は、原みさ子医師に対し、東京医科大学病院で入院して精密検査を受けるように勧められたが仕事のこともありどうしても入院したくないので原医院を受診したと言い、原みさ子医師が、東京医科大学病院でそのように言われているなら入院して肝生検、血管造影等の検査を受けなさいと勧めても、「入院は絶対にしたくない。」と言って亡一郎が頑なに拒否したため、やむを得ず亡一郎を診察することにしたのであり、また、同年三月七日に被控訴人明博が亡一郎にそれまでの検査結果について説明した際にも「慢性肝炎が考えられるが、肝生検等の検査をしなくては不明なこともあり、確定診断はつかない。東京医科大学病院で精密検査により確定診断を受けなさい。」と言ったが、亡一郎が「入院は絶対にしたくない。東京医科大学病院で確定診断を受けなくてもよい。先生のところの検査結果に基づいて診てくれればよい。」などと言うので、亡一郎に「肝硬変として経過を診る。一、二か月ごとに検査を行う。薬はきちんと服用するように。」と述べて診療を継続することにし、さらに、その後の診療においても、被控訴人明博が検査結果を説明した際等に、何度も東京医科大学病院等で精密検査を受けるよう亡一郎に話したが、亡一郎はこれを拒否し続けていた旨の供述等をしている。

他方、亡一郎は、陳述書及び回答書(甲一ないし三。なお、甲一、二の陳述書は本件訴え提起の約一年前に作成されたものであり、甲三の回答書は同人が死亡する約一か月前に訴訟代理人作成の質問書に回答を記載したものである。)において、原医院の初診時に「入院しなくても良い方法はありませんか。」と言ったことはあるが、「入院は絶対にしたくない。」などと言ったことはなく、その後の診療の過程でも、被控訴人明博から東京医科大学病院等に入院して精密検査を受けるように指示されたことは全くないのであって、むしろ、被控訴人明博は、初診時の検査結果から「甲野さん大丈夫ですよ。入院する必要はない。食事療法で治る。」と言い、その後の診療の過程でも「大丈夫。心配ない。」、「肝硬変や癌の心配はまったくない。」などと言い続けていた旨の陳述をしており、控訴人花子も、陳述書(甲二一)において、昭和六二年三月七日に亡一郎が初診時の検査結果の説明を受けて原医院から帰宅した際、亡一郎は「被控訴人明博から入院する必要がないと言われた。」、「これで安心した。やっぱり原先生に診てもらってよかった。」と喜んでいたのであり、その後も亡一郎が原医院で診察を受けて帰ってくる度に「大丈夫だと言われた。よかった。」などと言っていたので安心していた旨の陳述をしている。

(二) ところで、医師ないし医療機関(以下「医師等」という。)は、診療契約に基づき、又は医療の専門家としても、患者に対し必要かつ適切な医療を行う義務があるが、そのためには、まずもって、当時の医療水準に応じた症状の医学的解明と診断がされなければならず、医師等は、診察の結果等により、重篤な疾病の可能性が予想されるがみずからその確定的な診断を下すことが困難な場合には、状況に応じて患者又はその家族等に病状を説明し、必要な情報を与え、場合によっては他の専門医、大病院での精密検査、入院等を指示したり指導する義務があり(医療法一条の四第一項第二項参照。)、患者に精密検査の受検や入院を回避したい意向があるからといって、病状の説明をせず、必要な情報も与えず、確定診断をしないまま漫然と診療を続け、その結果病状に応じた適切な医療(医師等と患者の信頼関係の下に、延命、治癒、緩解等のために当時の医療水準に応じた最善の方法を尽くすことが医療の本質にあると考えられ、必ずしもその効果が確実なものでなければ意味のないものということにはならない。医療法第一条の二第一項参照。)を受ける機会を失わせた場合は、診療契約上または不法行為上の過失があるものとして、これによって患者に生じた損害を賠償する義務があると解せられる。

そこで、検討するに、亡一郎が、東京医科大学病院において入院して精密検査を受けることを勧められながら原医院で受診していることからすれば、当時、亡一郎になるべくなら入院しないで済ませたいという意向があったことは明らかであるが、原医院での二度にわたる尿、血液検査や大橋病院での腹部CT検査を経た上で、なおも被控訴人明博に入院して精密検査を受けるよう指示されたにかかわらず、亡一郎がこれを頑なに拒否したというのはいささか不自然というべきである。既に認定したとおり、亡一郎が東京医科大学病院で受診した際には妻の控訴人花子も同行し、亡一郎のために同病院で栄養指導を受けるなどしており、昭和六二年二月二日に原医院を受診した際にも控訴人花子が同行し、同人がそれまでの経過を記載したメモまで持参していたことからすると、亡一郎とその妻は亡一郎の当時の健康状態を相当気遣っていたと考えられるのであり、被控訴人明博が亡一郎に入院して精密検査をする必要性、検査のために必要な入院日数、あるいは少なくとも入院を必要としないCT検査の定期的受検の必要性を十分に説明してこれを指示したとすれば、亡一郎においてこれを拒否するような理由があったとは思われない(現に、前記認定のとおり、亡一郎は被控訴人明博の指示に従い、平成二年二月二五日には大橋病院で、平成四年二月八日には日扇会第一病院においてCT検査を受けている。そして、甲二一によれば、亡一郎は義兄の経営する製本紙工業関係の材料や製品等の運送業を営んでいたことが認められるが、当時、亡一郎に仕事上で入院できないような特別の事情があったことは証拠上認められない。)。また、証拠(乙一、被控訴人明博本人)によれば、原医院の診療録(乙一)には、昭和六二年二月六日(原医院で被控訴人明博が初めて亡一郎を診察した日)の所見欄に「chr hepatitis(LC?)」(慢性肝炎(肝硬変?))との記載があり、同日大橋病院での腹部CT検査(なお、甲七二の四二〇頁によれば、腹部CT検査は慢性肝炎そのものに対する診断的価値は低いが、慢性肝炎と肝硬変との鑑別には有用であることが認められる。)を指示したが、同年三月七日の所見欄には、「CT good」との記載があるのみで、亡一郎に入院による精密検査を指示した事実については何ら記載されていないことが認められる。これらの点からすると、前記のとおり、慢性肝炎と他の疾患との鑑別、慢性肝炎の段階の確定的な診断には腹腔鏡検査や肝生検が必要であり、通常は初診時に近い時点で入院してこれらの検査を含む精密検査をする必要性が指摘されており、現に亡一郎は東京医科大学病院で入院して精密検査を受けるよう指示された後に原医院を受診していることを考慮しても、被控訴人明博は、亡一郎がなるべくなら入院を避けたいとの希望を述べ、当初の診察で肝硬変を疑って受検させた腹部CT検査の結果に異常が認められなかったことなどから、同年三月七日にそれまでの検査結果を亡一郎に説明した際には、同人に対し入院して精密検査を受けることまでは指示せず、むしろ、入院の必要はない旨の楽観的な診断内容を述べたと考えられるのであり、この点に関する被控訴人明博の本人尋問及び陳述書の供述等はにわかに採用することができない。

さらに、被控訴人明博が、亡一郎に対するその後の診療において何度も入院して精密検査を受けるよう指示していたとする点も、原医院の診療録(乙一、乙二の一、二)にそのような指示をしたことを示す記載が全くなく(診療録は患者に対する医師の指示内容を逐一記載するものではないにしても、被控訴人明博が乙三の陳述書で右指示をしたとする回数は、平成三年一〇月までの間に少なくとも八回に上るが、このように度々指示をしたのに亡一郎が応じなかったとすれば、そのことは診療上で重要な事実として診療録に記載されてしかるべきであり、それが一度も記載されていないことは、右指示の不存在を推測させるものといわなければならない。)、むしろ、右診療録には「腹部著変なし」等の病状に変化がないことを示す記載がしばしばみられ、被控訴人明博が亡一郎に対して検査結果に特に異常な変化はない旨の説明を繰り返ししていたこと(このことは乙三の被控訴人明博作成の陳述書でも認めている。)、既に認定した亡一郎の原医院への受診の間隔には相当のばらつきが見られ、約一年間全く受診しなかったり、四か月から半年以上間が空くこともしばしばあったことが認められるが、右事実は亡一郎の受診態度がいい加減であったというよりは、被控訴人明博から検査結果に異常がないとして楽観的な説明を受けていたため、亡一郎が自己の病状について深刻に受けとめていなかったものと推測されること(甲一二、甲九〇、乙九及び乙一〇によれば、亡一郎は杉並区の行った平成元年及び平成二年の成人健診並びに平成二年及び平成三年の高年者健診を受けていることが認められるが、このことは亡一郎が当時自己の健康管理について決して無関心ではなかったことを示している。なお、右成人健診はいずれも原医院で受け、高年者健診は平成二年が和田堀診療所、平成三年が原医院で受けたものである。)などからすると、亡一郎に何度も入院して精密検査を受けるように指示したにもかかわらず、同人が拒否し続けていたとする被控訴人明博の本人尋問及び陳述書(乙三)における供述等も、にわかに採用することはできない。

(三) ところで、前記亡一郎の病状の経過と慢性肝炎等の肝疾患に関する医学的知見からすると、亡一郎は、昭和六二年当時慢性肝炎に罹患しており、初診時に被控訴人明博は亡一郎の肝硬変を疑ったほか、その後の昭和六三年七月一八日にも診療録に「腹部、肝触知。肝硬変か。」と記載するなど、肝硬変に対する疑いを持ちながら亡一郎の診療を継続していたことが窺われ、更に平成二年七月には亡一郎が重篤な疾病というべき肝硬変や肝癌に進展する危険性が高いとされるC型肝炎であることも判明したのであるから、昭和六三年七月一八日の肝硬変を疑った段階又は遅くと心C型肝炎であることが判明した平成二年七月の段階では、病態の正確な把握及び肝硬変への移行の有無の鑑別等のため、専門医のいる病院での腹腔鏡検査や肝生検による精密検査を受けさせる必要があったのであって、そのためには亡一郎にその必要性と検査内容、検査のために要する入院日数等の情報を十分に説明して精密検査を指示すべきであったといわなければならない。亡一郎になるべく入院を避けたいとの意向があったからといってその患者の意向のままに任せて放置することが許されるわけはない(なお、乙三及び被控訴人明博本人尋問の結果中には、亡一郎に対し入院検査の上確定診断を得る必要を説いたのに対し亡一郎が入院を拒否したことにつき、患者は大人であり、医師としてそれ以上の対応をとることができない旨、一種亡一郎のライフスタイル、自己決定の問題であるかのようにいう部分がある。しかし、患者に対し専門家としての適切な説明や情報提供をしていたと認められない本件において亡一郎の自己決定の問題とする余地がないことはいうまでもない。)。

しかし、既に述べたとおり、被控訴人明博が亡一郎に対して右説明及び指示をしていたと認めることはできず、むしろ、平成四年二月に亡一郎に腹水が生じて原医院を受診する前までは、検査結果に特に異常はないなどの楽観的な説明をするのみで自己の肝硬変への疑いに対し確定診断を得るための格別の手段を講じることもなく漫然と慢性肝炎の治療を続けたというほかはないのであるから、被控訴人明博にはこの点で診療上の過失があったというべきである(なお、前記診療経過によれば、被控訴人明博は昭和六二年二月六日に亡一郎を初めて診察した時、昭和六三年七月一六日の診察時及び平成三年二月二二日の診察時の三回にわたり診療録に肝硬変を疑う趣旨の記載をしているが、甲一(陳述書)及び甲三(回答書)で亡一郎は、原医院に通院中に肝硬変と言われたことは一度もなく、平成四年二月一〇日に大橋病院で入院申込手続をした際の書類に肝硬変と記載されているのを見て愕然とした旨述べていること、甲二〇によれば、北青山病院の診療録(平成四年二月一四日欄)には、亡一郎の家族(控訴人花子及び同甲山良子)が同病院の医師に対し、原医院からは肝癌や肝硬変との説明はされていないと述べた旨の記載があることが認められること、更には、前記のとおり、被控訴人明博は、平成三年七月二〇日及び同年一〇月一九日の腹部エコー検査の結果に肝硬変を示唆する所見があったのにこれを見落としていることからすると、被控訴人明博は、亡一郎の肝硬変を疑ってはいたものの、その確認の方法を講ずることのないままその可能性についてそれほど高いものとは見ておらず、そのため亡一郎にも肝硬変の可能性や危険性について認識を得させる説明もしていなかったものと認めるほかはない。)。

2  適切な治療を行う義務について

(一) インターフェロンについて

証拠(甲六八、甲七〇の一、二、甲八一、甲八三、甲八七、甲八九の一)によれば、インターフェロンは、慢性肝炎に対する抗ウイルス剤として近年特に注目されている薬剤であり、当初はB型肝炎ウイルスに対する効果が確認されるにとどまっていたが、平成二年六月に日本肝臓学会でC型肝炎にも効果があることが発表され(甲七〇の一)、平成三年二月に米国でC型肝炎患者に対する投与が認可され(甲七〇の二)、平成三年三月ころ発表された厚生省非A非B型肝炎研究班の研究報告書には「C型慢性肝炎に対するインターフェロン療法はB型慢性肝炎に対するよりも有効であることが明らかとなり、なかにはHCVの持続感染が消失したと考えられる例も報告されている。」と記載されており(甲八七)、平成四年一月にはC型肝炎の患者に対する投与に健康保険の適用がされるようにもなり(甲八九の一)、C型慢性肝炎に対する原因療法として広く使用されるようになったことが認められる。

右の事実によれば、インターフェロンが平成三年中にはC型慢性肝炎に効果のある薬剤であることが一般的な認識となっていたということができる。

しかし、右に認定したインターフェロンに関する医学会及び厚生省の動きや健康保健適用の時期からすると、控訴人らが右薬剤の不使用を問題とする昭和六三年七月から平成三年二月当時においては、C型慢性肝炎に対するインターフェロンの有効性については研究段階か、ようやくその効果が公にされてきた時期であって、右の当時において既にC型肝炎に対する右薬剤の評価が一般的に確立していたとまではいえないし、その投与について健康保険の適用もされていなかったのであるから、原医院のような一般の開業医において、亡一郎にインターフェロンの投与を行い又はこれを投与することのできる医療機関を受診するよう指示すべき義務があったということはできない。

したがって、右義務違反をいう控訴人らの主張は理由がない。

(二) 強力ミノファーゲンCについて

証拠(甲六八、甲六九、甲七二、甲八三)によれば、強力ミノファーゲンCは、抗炎症、抗アレルギー作用のあるグリチルリチンを含む静脈用注射剤であり、慢性肝疾患の肝機能改善剤として広く用いられており、一日置きに六か月間以上にわたって継続投与することにより、八〇パーセントの有効率で肝臓の炎症を抑えてGOT、GPTを低下させる効果があるとされ(甲七二の四二二頁)、その結果、慢性肝炎の進展を阻止ないし遅延させることができ、また、肝硬変についてもGOT、GPTが一〇〇以上の高値を示す症例等では強力ミノファーゲンCの静注が有効であって(甲七二の四三一頁)、C型慢性肝炎に対する継続投与により肝癌の発生率も低下するとの報告(甲八三の一三二頁)もされていることが認められる。

ところで、被控訴人らは、強力ミノファーゲンCによって肝機能の改善効果が認められるのは肝炎が活動性である場合であるところ、亡一郎の肝炎が活動性であったとはいえない旨主張する。確かに、右薬剤の適応を「慢性活動性肝炎」とする文献があり(甲七二の四二二頁。なお、甲七二の四〇三頁及び四〇四頁等適応疾患を単に「慢性肝疾患」とする文献もある。)、右薬剤が有効であるのが活動性の肝炎に限られるとしても、証拠(甲七九、甲八〇)によれば、慢性肝炎が活動性か否かの確実な診断は肝生検による必要があるが、一般的にはGPTが一〇〇以上であれば活動性と考えられることが認められ、亡一郎のGPTは前記のとおり昭和六三年七月から平成二年一一月までの間常に一〇〇を超えており(最高は平成元年二月の一七一、最低は平成二年一一月の一〇七。)、平成四年二月には重症肝硬変にまで進展したのであるから、亡一郎の慢性肝炎は活動性のものであった可能性が強いというべきである(なお、慢性肝炎で高くなっていたGOT、GPTは肝硬変の進行とともに低下することがあることは前記のとおりであり、平成二年六月以降GPTが低下して一〇〇以下になったのは肝硬変への移行に伴うことが考えられる。)。したがって、亡一郎に強力ミノファーゲンC投与の適応がなかったとは一概にはいえない。

もっとも、強力ミノファーゲンCの薬効については、限界がある旨の指摘もみられること(甲六九)、本件においては、被控訴人明博は、昭和六二年二月から平成元年三月までの間は慢性肝疾患用剤であるタチオン(甲七二の四〇四頁)等を処方し、平成元年四月と平成二年一一月にはグリチルリチンを含む肝機能障害用剤である小柴胡湯(甲七二の四〇三頁)を処方しており、その間、亡一郎のGOT、GPTは概ね一〇〇を超えてはいたが、それほど急激な変化はなかったこと、甲七三によれば、平成四年五月一日発行の「今日の診断指針」(株式会社医学書院)には非A非B型慢性肝炎の治療法として「強力ミノファーゲンCの静脈注射あるいは肝臓用剤の使用で対応する。」とされ、症例に応じて他の肝臓用剤との選択的な使用をすることが予定されているところ、前記のとおり強力ミノファーゲンCは一日置きに六か月間以上の継続投与が必要であり、治療を受ける患者の負担も大きいため、医師としてはその使用にある程度慎重にならざるを得ないと考えられることなどを考慮すると、被控訴人明博が、亡一郎に対し、強力ミノファーゲンCの使用をしなかったことについては、一般開業医として診療上の過失があったとまでは認めることができない。

したがって、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。

四  被控訴人明博の前記説明及び検査指示義務違反と亡一郎の肝癌による死亡との因果関係等について

1  被控訴人明博が、遅くとも亡一郎の慢性肝炎がC型肝炎ウイルスによるものであることが判明した平成二年七月の段階では、病態の正確な把握及び肝硬変の鑑別等のため、亡一郎に専門医のいる病院での腹腔鏡や肝生検による精密検査を受ける必要性を十分に説明して精密検査を指示すべき義務があったのにこれをせず、平成四年二月に亡一郎に腹水が生じて原医院を受診する前までは、検査結果に特に異常はないなどの楽観的な説明をしていたことは前記のとおりである。そして、慢性肝炎等の診断及び治療方法等に関する前記二の認定に照らせば、亡一郎ができるだけ早期の段階で右の精密検査を受け、慢性肝炎の程度、段階や肝硬変移行の有無等を正確に診断されて、診断結果に応じた適切な治療を受けていたならば、慢性肝炎、肝硬変の進行をある程度は抑制することができ、その結果、肝癌の発生を遅らせる可能性がなかったとはいえない。

しかし、右に述べた慢性肝炎、肝硬変の進行の抑制等はあくまで可能性にすぎないのであって、現在の医療において慢性肝炎から肝硬変への移行及び肝癌発生を確実に阻止する治療法はまだ存在していない上、亡一郎の診療経過において肝硬変移行の時期や肝癌発生の時期を具体的に明らかにする証拠はなく、右精密検査を前提とする適切な治療をどの時点で受ければどの程度に慢性肝炎、肝硬変の進行を抑制できたかを明らかにすることもできないのであるから、被控訴人明博の右診療上の過失と亡一郎の肝癌発症及びこれによる死亡との間に直ちに因果関係があるとは認めることはできない。

また、亡一郎に発症した肝癌は多発性のものであり、平成四年二月に判明した段階では既に摘出手術も不可能な状態であったところ、被控訴人明博は、それまでの間、亡一郎に継続して腹部エコー検査を実施しており、平成三年中には四回の検査が行われていたにもかかわらず、肝癌の存在を示す所見は認められなかった(甲六四の別紙にある前記宗近教授のコメントでも、平成三年一〇月一九日の腹部エコー検査結果から肝癌は読みとれないとされている。)のであるから、被控訴人明博の診療において、肝癌の発見が遅れたということもできない。

2 右に述べたとおり、被控訴人明博の説明、検査指示義務違反と亡一郎の肝癌発症及びこれによる死亡との間に因果関係を認めることはできないが、亡一郎は、昭和六二年二月から平成四年二月まで約五年間にわたり被控訴人明博に信頼を寄せてその診療を受けながら、結局肝硬変への進行さえ明確に診断されることなく推移し、被控訴人明博の右義務違反により、当時の医療水準による適切な医療を受ける機会を失い、ひいては慢性肝炎、肝硬変の進行を抑制して肝癌の発生を遅らせることのできる可能性をも失ったのであるから、被控訴人明博は不法行為に基づき、亡原徹の訴訟承継人らは診療契約上の債務不履行に基づき、この点について亡一郎が受けた精神的損害を賠償する責任があるというべきである。

そして、本件に現れた一切の事情を斟酌すると、亡一郎の右精神的損害に対する慰謝料は三〇〇万円と認めるのが相当であり、この損害を請求するための弁護士費用(原審分)としては五〇万円が相当である。

なお、右義務違反による損害の性質上、被控訴人らに控訴人ら固有の精神的損害を賠償する責任までは認めることができない。

3  そうすると、亡一郎の相続人である控訴人花子、控訴人二郎及び控訴人三郎は、法定相続分に応じて控訴人花子が一七五万円、控訴人二郎及び控訴人三郎が各八七万五〇〇〇円の損害賠償請求権を有し、これを被控訴人明博は全額、同原菊惠は法定相続分に応じて右各金額の各二分の一(控訴人花子に対し八七万五〇〇〇円、控訴人二郎及び控訴人三郎に対し各四三万七五〇〇円)、被控訴人矢尾板明子は法定相続分に応じて右各金額の四分の一(控訴人花子に対し四三万七五〇〇円、控訴人二郎及び控訴人三郎に対し各二一万八七五〇円)の割合で支払うべきである(右の被控訴人明博以外の被控訴人らの支払義務は、被控訴人明博の支払義務と連帯関係にある。)。

また、右控訴人らのその余の請求及び控訴人甲山良子の請求は、前記のとおり、亡一郎の肝癌発症及びこれによる死亡と被控訴人明博の診療上の過失との間に因果関係が認められないから、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

第四  結論

以上によれば、控訴人花子、控訴人二郎及び控訴人三郎の本件請求は、控訴人花子が被控訴人明博に対し一七五万円、同原菊惠に対し八七万五〇〇〇円、同矢尾板明子に対し四三万七五〇〇円、控訴人二郎及び控訴人三郎が被控訴人明博に対し各八七万五〇〇〇円、同原菊惠に対し名四三万七五〇〇円、同矢尾板明子に対し各二一万八七五〇円及びこれらの金員に対する本件訴え提起後である平成六年一二月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるから認容すべきであり、右控訴人らのその余の請求及び控訴人甲山良子の請求は理由がないから棄却すべきであるから、これと異なる原判決を右のとおりに変更し、控訴人甲山良子の本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六七条一項及び二項、六五条一項本文、六四条本文、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官大島崇志 裁判官寺尾洋)

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